2023年3月14日火曜日

陰謀

この世に偶然はない,あるのは必然だけ(何かのアニメ)


高市大臣,放送法解釈をめぐる問題で槍玉に挙げられていますが,本来は表に出てこない資料が出てきたことに由来する問題のようです。

高市さんに関する真偽はいずれ明らかになるでしょうけど,僕の邪推は高市さんがMTT的なことを言うので,財務省のプライマリーバランス主導者から邪魔者扱いとなり,過去のスキを使って高市さんの弱化を狙ったのでは?というものです。証拠はないですけど,高市さんのいくつかの経済政策的発言は,緊縮財政とは異なるもののようですので。

2022年11月16日水曜日

道徳

君の意志の格率が,つねに同時に普遍的立法の原理として通用することができるように行為しなさい(カント)


格率というのは,自分で決めた行動方針のことです。「試験の時,近くの受験者の回答をカンニングして済ませよう」ということを決めたとしたら,それも格率です。つまり,格率には良さげなものとそうでないものがあることになります。

カントは,様々に存在するであろう格率の善悪は,意志と普遍性によって定まると考えました。「試験はカンニングで済ませる」という格率に普遍性があれば,受験者全員がその行為をすることになるので,カンニングそのものが成り立たない事態となります。普遍性のない格率は,自分以外の多くの人がルールを守ることが期待される中で,自分を「例外」として扱う意志が伴っています。いわゆる「ズルい」と言いたくなる状況が該当します。

一方,「困っている人には手を差し伸べるべきだ」という格率はどうか。これが普遍的だとしたら,カンニングのような間抜けな事態にはならないと思われます。格率が普遍的であることが道徳の最上の原理であることをカントは見出しました。

冒頭の言葉は,「格率に普遍性があるかを自分で問い,普遍性が成り立つならそれを行うべきだし,普遍性が成り立たないならそれを行うべきではない」ということです。

道徳を教わる際,道徳の教師がこの道徳原則に従って振る舞うことができる人だったら,学生は幸せでしょうね。振る舞える人だったら…。

2021年3月24日水曜日

礼儀

空手は義の補け(船越義珍)


「女子空手五輪代表・植草 帝京大時代の恩師・香川氏をパワハラ告発へ」というニュースがありました。空手は素手の技芸のはずで,竹刀で目をつくほどの指導など,もしそれが事実ならちょっとどうかしてます(※)。「礼に始まり,礼に終わる」をいくら掲げても,空手が身についても礼儀が身につくわけではありません。無相関。頭の良さと礼儀も無相関。

「我こそは公認の指導員なのだ! 指導員が言うことが絶対なのだ! 指導に不条理があって当然! その指導にイチャモンをつけるなど公認の指導員に対するハラスメントだ!」などと礼儀よりも肩書を振りかざす輩に,不幸にも出会ってしまったことがあります。対等の立場で論理的に話せない人の事例として子どもの教材にしました。ドラマ「半沢直樹」でもワルは立場・役職・権力を振りかざしてマウントを取る様子が描かれるので,子どもにも「同じ構造」であることが伝わりやすかったようです。義の輔けにすらなっていないトホホな人が権力を持つとロクなことになりません。物理的な意味での「空手」は上手いのかもしれませんが,「人格完成に努める」とか,上から精神論を語る資格はまるでない,「KY」な指導員なのでした。空気読めないではなく,権力(K)歪める(Y)。空手道の精神(K)歪める(Y)。「KY」にはご注意を。

ちなみに,学生にも,その当時の一悶着の様子が分かるすべてのメールを読んでもらいました。(その指導員の方も上層部にメールを見せたそうなのでおあいこ)。全員から「ヤバい。さっさと辞めるべき」という尤もな意見。辞めるが正解。

教員もある意味で権力を持つ側なので,このトホホな方を反面教師として学んだことになります。(というか,学ばなくても常識なんですけどね,ホントは。)


※2021年5月11日現在,この事実は怪しそうだという流れのようです。その意味では良かったとも言えなくもないですが,僕自身の不幸は事実です。

※2021年8月6日追記:東京2020女子空手形で,金メダルに輝いたスペインの選手が,日本のコーチに正座で礼をしたことがニュースになりました。「礼節を学ばせてもらった」「素晴らしい」「取るべくして取った金だったんだ」など高評価です。ただ,空手を通じてその境地に立てる人もいれば,そうでない人もいる。そうでない人が指導者になると最悪。きっと,件の指導員は,このスペイン選手の話を道場生に紹介して,礼儀の大事さを話すんだろうな。まさに「おまいう」の空間になるんだろう。

※2022年3月8日追記:ロシアのプーチン大統領が国際柔道連盟の全ての役職を解任されたようです。ワールドテコンドーも「平和は勝利よりも貴重である」ということで名誉9段黒帯を剥奪した模様。見方次第では武道の修得と礼節が関係がない事例とも言えます。政治的要素が含まれるという点で事例とするのはいかがなものかという意見もあるでしょうが,「権力を持った時の振る舞い」というところでは共通するものと思われます。

※2022年11月2日追記:旧統一教会絡みで岸田内閣の辞任ドミノの一番バッターとなるかもしれない山際さんは今も空手が現役だそうで,やっぱり「空手→礼儀」のパスは期待できない。「権力」「権威主義」とのパスの方が高そう。

2020年5月26日火曜日

隠れ蓑

木を隠すなら森の中


今,番組「テラスハウス」出演者の方が誹謗中傷を受けて,死亡に至ったのではないかということを受けて,高市総務大臣が「匿名で他人を誹謗中傷する行為は人として卑劣で許しがたい」と述べ,発信者の特定を容易にするための制度改正を「スピード感を持って行う」と主張しています。

確かに,匿名で誹謗中傷するのは卑劣です。やっぱり「感性」で書いた通り,3年A組の効果はアッと言う間になくなっている。

ただ,この制度改正の動きですが,「政府批判を犯罪にする法律」に仕立て上げようとしていると勘ぐることはできないでしょうか? 「政治と政治家は別。批判・中傷されてナンボ」「されたくなければ,まともな政治行動をしよう」くらいドーンと政治家として確約されておかないと,法律を情報統制に悪用されかねないのではないかと危惧しています。政治家も人ですけど,税金を払っている人に非難する権利を与えられない「人でなしの政治家」では困るわけです。

検察庁法改正案見送りのようなことが,スーパーシティ法案が「#超監視超管理社会を拒否します」の動きから起きるかもしれないことを予想して,別の監視・管理システムの糸口として「テラハ」を隠れ蓑に,「誹謗中傷者の特定を容易にする制度改正」をスピード感を持って行おうとしているのではないでしょうか?

考えすぎ?


5/27
翌日,「#木村花さんを政府の国民監視に利用するな」というハッシュタグが立ちましたね。
ちゃんとした制度改正ならいいんですけど。

「人間としてどうか」「うそつき」との面罵はOK? 匿名じゃなければOK?

2019年8月6日火曜日

関頭

賢者は歴史に学び,愚者は経験に学ぶ(オット―・フォン・ビスマルク)


関頭。「かんとう」と読む,なかなか普段使わない言葉ですが,ターニングポイントとかそういう意味です。要は運命の分かれ道ということです。

今年の夏の高校野球甲子園出場を果たした宮崎の高校は,7,8年前は部員はたったの5人だったそうです。監督さんは基礎を徹底して,徳を積んでいれば,打席に立った時に自信が生まれることを説いたそうです。

その一環として,「携帯電話禁止令」を出していて,監督曰く,「百害あって一利なし」なのだそうな。

僕はそこまでケータイがひどいものだとは思いませんが,半年前に書いたこと(感性)と合わせれば,匿名をいいことにそれをSNSに上げていいかどうかすら判断できない思考停止や思考劣化が起きなければ,非常に有用なツールだと思います。

HKTの裏アカでのツイートでも分かるように,スクリーンショットの存在を知っていれば,たとえ裏アカでも「自分で蒔いた種」は拡散します。

そこだけ切り取れば,「百害あって一利なし」なのかもしれませんが,結局は使い方次第でしょう。「何気ない」扱いである分,発言者の知性や人格が素のまま反映されやすいわけです。「地頭が出る」というところでしょうか。


ここで問題。今,ツイートによるトラブルで,迷惑をかけたことを相手にメールで詫びたところまでは同じAさんとBさんがいたとします。その後,次のような対応をとったAさんとBさんの今後の振る舞いはどのように推測されるでしょうか? また,どちらの人を教員にしたいでしょうか?

Aさん:当該ツイートを削除した。
Bさん:ツイートを非公開にした。

実のところ,この数日関わった2人の学生をモデルにしていますが,案件はほぼ同じなのにこの2人のとった行動は異なっていました。人事的な視点からは教員採用の合否を左右する情報でしょう。僕の知り合いも人事に関わっているので,こういう情報は将来「みそをつける」ことを防ぐ上で,喉から手が出るほど欲しいそうです。

***追記(20191010)
神戸市の小学校でいじめ教員が明るみになったが,まあ僕が言いたいことと結構ダブりますね。結局,自分が何をしているのか,善悪判断ができていない教員は増やすなということです。
***

フェルミ推定とまで言わなくても,科学的に考えれば分かることですが,ただでさえ,知り合いの知り合いを4ステップか5ステップ踏めばつながると言われるくらい,世間は狭いものです。要するに,誰もが誰かと誰かをつなぐハブ (HUB) になっているということです。そして,SNSはそのつながるまでのステップを少なくする機能を持っていることは想像に難くありません。そういうスモールワールド・ネットワークのことをちょっと考えれば自ずと分かるようなものだと思うのですが,「スマートフォン (SMART phone)」という言葉が皮肉にしか聞こえないような,スマートから程遠いユーザもいるようです。

地「頭」が「関」わる問題。まさに関頭。

2019年3月11日月曜日

感性

我々の時代は以前よりも多くの手段,多くの知識,多くの優れた技術を持ちながら,過去のあらゆる時代よりも不幸な時代として,その波間に漂うているのである。(オルテガ・イ・ガセット)


ドラマ「3年A組」終了。他のドラマも終了する時期ですが,このドラマはなかなか興味深かった。

別段解説の必要もないでしょうが,「匿名で自分を守りつつ,コメントをネットに垂れ流す思考停止あるいは配慮停止人間が横行してしまっている社会への問題提起」といった作品だと思います。

面白かった。

面白かったんだけど,同時に空しい作品でもあることは間違いないでしょう。菅田将暉さんが熱演した教員が主張していることは,学校教育で「ちゃんと考えよう」とどの先生も言っていることと何ら変わりません。「Let's think!」です。同じ。

「あんな先生,いたらよかった」

そういうふうに感想を持つ人もいるとは思いますが,あの先生があんな事件を起こさないと大事なことにすら気づけない愚鈍さも同時に描かれている。このドラマによって,自己を振り返り,行動が品よく変容するネットユーザが溢れかえるといいなあと思いますが,「事件で何かが変わるでもなく…」というエンディングと同じ状態を辿ることになるのでしょう。つまり,一時のfadで終わるでしょう。

同じ時期にNHKの「100分で名著」でオルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』が取り扱われていたことは何とも皮肉。

2017年4月6日木曜日

正論

[水虫なんて]虫でないものを虫というな(ある自閉症児)


すごく久しぶりの投稿。誰も見ていませんように…。

数年も前ですが,多分に漏れず「半沢直樹」を面白く拝見しておりました。
あれ,視聴者はどの人の視点で見ていたんでしょうか?

もちろん半沢直樹なんでしょうが,同じような正論で生活をしているのでしょうか?

僕はワリと正論を吐くタイプだと思っています。
以前,妻に「正論過ぎて怖い」と言われたことがあります。
(これまた人気の「相棒」の杉下右京のセリフが,以前僕が言っていたことと同じだったことを受け,妻が言った)

「できるもんならな!」と半沢が上司に言われるシーンが有りますが,僕はあのシーンを見た時に,院生時代に僕が「標準的な研究」を批判して,採るべきアプローチについてプレゼンした際,教員に「ドロ沼に入らんように」と言われたことを思い出します。

「ドロ沼に入らんように」

これ,文字通り,そう言われました。どんな語用論的知識を持ち出しても「応援しているぞ,頑張れ!」という解釈は生まれないでしょう。むしろ「できるもんならな!」の方が近いと推測します。

ある自閉症児の発言を引用しましたが,非常に合理的な意見だと思います。

「大人になる」とか「健常である」というのは,純粋な正論をひた隠しにするように学習することであるというのも,当たらずとも遠からずではないでしょうか?

健常という障害なのかもしれません。


さて,今日,以前「レポートを書くのに不適切なプロセス」を注意し,「ご教示頂き,ありがとうございます。今回の件で,大変不快な思いをさせてしまい,誠に申し訳ございませんでした。」という回答をした学部生と道ですれ違う「はず」でした。
僕は矯正視力はいいので,50メートルくらいならおおよそ人物を特定できるので,それが早い段階から分かるのですが,その学生は「そっちに何しに行くの?」という方向に曲がりました。

本当に「そっち」に用事があったのかもしれませんが,持っていたものがコンビニの小さい袋程度だったし,本当に「何にもない」。
ガツンと注意されたら,その後きちんとすればいいものを…と思うのですが,注意された側はバツが悪かったり,僕を嫌ったりということなんでしょうね(他の学生のレポートを見ていく中で判断したことなので,僕は正論を吐いただけだという自信はあります。最初は「悪気はない」という感じだったので,「何が悪かった」かいちいちを伝えなければならなかった)。

ただ,レポートでの不適切なプロセスなどは注意や減点で対応できるので,この学生が謝ってきた不快などは感じませんでしたが,むしろ(あくまでも可能性として)「あいさつを避けるために方向を変えた」ということであれば,そちらの方が不快になるとは考えないのですかね。

(あくまでも可能性として)小さな事象で済むことを大きくさせてしまった「遅刻の言い訳に通り魔をでっち上げた22歳男性」のニュースを彷彿とさせます。

(あくまでも可能性として)もしそうであれば,臨床家として不適切かな,と。

(あくまでも可能性として)そうでないことを願います。